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能「三輪」(作:観世信光) あらすじと詞章 

あらすじ

今の奈良県の三輪山のほとりに住む僧侶・玄賓(げんぴん)のもとに日々訪ねてくる中年の女がいた。彼女は、仏前に備えるシキミ(葬儀や法要などの仏事で使用される植物)と水を携え、毎日やってくる。晩秋のある日、いつものように玄賓の前に現れた女は寒さを増す秋の夜を思って、一枚の衣を玄賓に所望する。玄賓は衣を与えつつも、彼女の住処を尋ねると、女は三輪山の麓に住んでおり、そこに訪ねにこいと答える。目じるしは、の木だと伝え姿を消す。

やがて、里の男から玄賓の衣が三輪明神の神木にかかっていたことを教えられる玄賓。その場を訪れると女神姿の三輪明神が現れ、衆生救済のために罪を背負った自らの苦しみを明かす。その内容はは、明神が男の姿となって女のもとに通い、邪淫から女を救った神と人との夫婦物語であった。しかし、玄賓のおかげでその苦しみも和らいだことに感謝を述べ、天岩戸の前で舞われた神楽を舞ううちに夜明けを迎える。

玄賓はそこで、夢が覚めたことを知るのであった。

詞章(序盤)

[名ノリ笛]

ワキ

これは和州三輪の山陰に住まいする、玄賓僧都にて候、ここにいづくとも知らぬ女性、毎日樒閼伽の水を持ちて来たり候、今日も来たりて候はば、住家を訪ねばやと思い候

[次第]

シテ

三輪の山もと道もなし、三輪の山もと道もなし、檜原の奥を尋ねん。

シテ

げにや老少不定とsて、世のなかなかに身は残り、幾春秋をか送りけん、浅ましや為すことなくて徒に、憂き年月を三輪の里に、住居する女にて候、またこの山陰に玄賓僧都とて、尊き人の御入り候ふ程に、いつも樒閼伽の水を汲みて参らせ候、今日もまた参らばやと思ひ候

ワキ

山頭には夜孤輪の月を戴き、洞口には朝一片の雲を噴く、山田守る僧都の身こそ悲しけれ、秋果てぬれば、訪ふ人もなし

シテ

いかにこの庵室の内へ案内申し候はん

ワキ

案内申さんとは、またいつも樒閼伽の水持ちて来たれる人か

シテ

山影門に入って推せども出でず

ワキ

月光地に敷いてはらへどもまた生ず

シテ/ワキ

鳥声とこしなへにして、老生と静かなる山居

地謡

柴の編戸を推し聞き、かくしも尋ね切樒、罪を済けて賜び給へ。

地謡

秋寒き窓の内、秋寒き窓の内、軒の松風うちしぐれ、木の葉かきしく庭の面、門は葎や閉じつらん、下樋の水音も、苔に聞こえて静かなる、この山住ぞ淋しき

シテ

いかに上人に申すべき事の候

ワキ

何事にて候ふぞ

シテ

秋も夜寒になり候へば、御衣を一重賜はり候へ

ワキ

安き間の事この衣を参らせ候

シテ

あらありがたや候、さらば御暇申し候はん

ワキ

暫く、この程樒阿迦の水持ちて来たり給ふ御志、返す返すもありがたう候、さてさて御身はいづくに住み給ふぞ、住家を御明かし候へ

シテ

わらはが住家は三輪の里、山もと近き所なり、その上我が庵は、三輪の山もと恋しくはとは詠みたれども、何しに我をば訪ひ給ふべき、なほも不審に思し召さば、訪い来ませ

地謡

杉立てる門をしるしにて、尋ね給ひと言ひ捨てて、かき消す如くに失せにけり。

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