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緑茶vs紅茶 アメリカ茶戦争  アメリカ人は紅茶よりも緑茶を飲んでいた!?

イギリス人とアメリカ人は茶の好みが違う。
イギリス人は紅茶を好み、
アメリカ人は緑茶を飲んでいる。

そんな時代が100年前にあったことをご存知でしょうか。

「アメリカ人が緑茶を飲むの?」

「というか、ハンバーガーとかアップルパイに緑茶って合うの?」

今では信じられないですよね。
でも、そういう時代がたしかにあったのです。

19世紀、世界的に茶に注目が集まります。その消費量は年々飛躍的に増大。

中国の中国茶や烏龍茶、インドの紅茶、そして日本の緑茶は、欧米に輸入されるようになります。

当時、日本の輸出の目玉が生糸と緑茶。

緑茶を世界に売り出すぜ! と日本は基幹産業として世界に打ってでますが、

世界で最も大きな市場であったイギリスでは紅茶に惨敗。

さらに、第2位の市場のロシアでは中国茶に負けてしまいます。

今度こそと、打ってでたのがアメリカ市場でした。

第1ラウンド 日本茶VS中国茶(1860-1900年)

着色料はもうやめよう。打倒ウーロン茶

既にアメリカ市場で一定の地位を築いていた中国茶。

そこに日本茶が参入がします。

当初は好成績を残すものの、なんと日本茶の不正が発覚!

ニューヨークの新聞に、

「枯葉や砂を入れてカサを増しをしている」

「日本のお茶は、身体に有害な着色をしている」

と粗悪な商品の実態が明るみにでてしまったのです。

(ちなみに中国茶も着色はしていた。笑)

そこで日本は国をあげて、輸出の体制の改革をおこないます。

日本茶の輸出は主にイギリス商社が行っていたところを、日本が直接輸出できるよう体制を整えます。

政府も支援したこともあり、静岡や神戸が中心となって、直接輸出する会社が国内で相次いで設立されます。

しっかりとした品質管理と輸送体制を整えたこともあり、

次第に日本茶はシェアを伸ばします。

やがて中国茶のシェアを抜き、アメリカ市場のお茶のトップシェア(最大44%を獲得するまでになったのです。

・第2ラウンド 日本茶VS紅茶 (1890年−1915年)
「ティーといえば緑茶」となったはずだったのに販売戦略大失敗

次にライバルとして現れたのがインドの紅茶です。

1893年に開催されたシカゴ万博を機に、インドのセイロン紅茶がアメリカ市場で大量に入ってきます。

当時、ティーといえば、緑茶という先駆的地位を持ってた日本茶ですが、すぐさま紅茶に負けてしまいます。

その理由はマーケティングでした。

紅茶は、栄養に富んでいる健康食品として大々的な広告を打ちました。これが、アメリカの主婦層におおいにうけました。

一方日本は、茶道の精神性を売りにしていたものの、当時のアメリカ人の緑茶の飲み方は、

砂糖にミルクを入れるという、コーヒーの飲み方を緑茶にあてはめたもの。
日本人としては、受け入れられないですよね。


紅茶戦争の真っ只中には、岡倉天心の「茶の本」が出版されたものの、
その精神性は(すぐには)理解されず、茶道の精神とは真逆の状態がアメリカ市場でした。

カナダでも販売戦略、大失敗! 
緑茶は貧困層の飲み物!?

アメリカより大きな市場だったカナダ市場。こちらでも日本は紅茶に大負けしてしまいます。

それは、インド紅茶は、巧みなマーケティング術で、日本茶を凌駕していきます。

まずインドが力を入れたのが紅茶ではなく緑茶の販売。

当時、ティーといえば緑茶だったのを逆手にとり、インドで緑茶をつくりはじめたのです。

大規模製法で機械化されたインドの緑茶は、非常に安価で、日本の緑茶の3分の1の価格でした。

しかも売り文句は
「日本の緑茶は、着色料を使っていて、しかも高値!」

いわゆるネガティブキャンペーンを貼られたんですね。

それだけでなく、日本は自らも販売方法で失敗してしまいます。

代表的なのがバンクーバーでの失敗です。

日本茶専門売店を開店した際に、

1ポンドのお茶を購入すると2ポンド分のザラメ砂糖をつける!

という日本ではおなじみのオマケ商法です。

この破格のおまけ商法は、良くも悪くも大きな反響を呼びました。

低所得者層には、お得感がウケて大ヒットしたものの、

中間層以上には下品のな売り方と捉えられてしまいました。

・緑茶=低所得者の飲み物

・日本茶=着色料が入ってる
というイメージがついてしまったらもう勝ち目はありません

総論:なぜ紅茶に緑茶が負けたか。

なぜ紅茶に緑茶が負けたか。
上記のこともありますが、一番大きなことは、
価格競争に負けたこと。

インドの紅茶は、機械を使った大規模生産。

一方日本は、人の手を最大限活かした製法です。
これでは、価格で勝てるはずがありません。


また、日本政府は1903年に海外販路開拓の補助金を打ち切ります。
つまり日本が工業生産に移っていく時期と重なったことによって、国策として茶は輸出品としての優先順位は大きく下がっていったという時代背景もありました。

お茶よりも、もっと高単価なものを売っていく方向に国が舵を切ったのです。

ちなみに、これらはあくまでもお茶の話。
アメリカ人の第一選択肢は、今も昔もコーヒーです。

10人いたらコーヒーを選ぶのが9人、お茶を選ぶのは1割程度。

でも、もしかしたらその1割が緑茶を飲んでた可能性があったんですよね。

ちょっぴり残念な話ですが、

今は抹茶が健康食として注目を集めています。

今後、日本茶が世界を席巻する日が来るかもしれません。

参考文献)茶の世界史(角山栄)

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